無関心について/パンの愛人
 
は停止してしまう。かれの人格は、と言いかえてもいい。無限は時間のゼロ地点である。

 もちろん、こう言ったからといって、私は時事問題にとりくむひとたちの真摯さを疑うものではない。かれがそれにとりくむには、なにかしらの内的な必然性があったはずだからである。私が不審に思うのは、そういった個別的な活動にたいしてではなく、要するにそういった問題の個別性を捨象した「時事に関心を持て」という良識的な大義名分にたいしてなのである。

 私は私自身がリアルに感じる問題にしか手をつけない。それは、おそらくだれでもそうであると思う。ひとによってはパレスチナ問題がリアルかもしれない。しかし、私にはそれがリアルで
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