無関心について/パンの愛人
ルでない。また別のひとにとっては、恋人の浮気問題がリアルであるかもしれない。しかし、それもまた私にはどうでもいいことである。
この場合、問題の規模が大きくなればなるほど、発言はいよいよ白々しさをましてゆくものである。また、発言者の位置が不明になればなるほど、発言そのものが空疎になってゆく。つまり、思索という行為においては、私という存在と、そして私と対象の関係を検討することがつねに同時に生起する。そうでなければ、どのような思索もけっきょくただのデマゴーグにすぎない。
社会的な時事問題、つまり、政治、経済、芸能、スポーツと、それらの問題意識を一番に煽動するのは、なんといってもジャーナリズム
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