鳥の論理と虫の論理など(1)/Giton
地を現地取材している記者にとって、そうした大所高所の客観的な立場に立つことは、果たして可能なことなのか、きわめて難しいのではないか、ということです。
そして、そのことは、紛争地から遠く離れた私たちの立ちうる位置にも影響を及ぼすのではないか?すなわち、私たちが、客観的な立場で「説く」ことは、はたして可能なのか?という問題を提起するのです。
睡蓮さんの主張しておられる立場は、一歩下がって全体を視野に収めた・いわば「鳥の論理」です。しかし、紛争の渦中にいる民間人の論理は、いわば「虫の論理」にならざるをえないのではないか。(だからこそ、見通しのきく立場にいるものが、「虫の論理」に追随してはならない
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