毬藻/黒田康之
 
い言いようで彼に伝えるかを腐心して彼のことばを待った。しかし、彼のことばは違っていた。自分は父親自身であって、父親が本来の、多少本来とは言い切れない部分もあるが、自分なのだという。彼らは三十五歳を境目にして、相互にその人生を交換しているのだという。息子である我が眼前のクライアントは三十五歳にして彼自身の父親の三十五歳当時と入れ替わり、三十五歳の父親は、彼の息子の三十五歳の姿と入れ替わったのだという。もう少し補足すれば、今、おそらく彼の家の居間で昼寝をしているだろう父親は、彼の息子の三十七年後の姿であるという。この点が私には少し奇妙だった。もし、彼が七十歳の知恵と経験を持ったまま、三十五歳の若い体に
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