毬藻/黒田康之
 
体に宿ったのであって、彼の父が労働に疲れた三十五の精神を七十歳の体に宿して、以来、居間でワイドショーやドラマの再放送に見入っているのであれば、それは先にも述べたとおり、別段何の不思議もないごく平坦な錯誤だ。だが彼が言うのに、三十五の父親は三十五の彼の身体に宿り、七十の彼は父親の七十の身体に宿っているのだとすると、明白な矛盾がある。なぜなら彼は未だ三十七歳で、七十歳という年齢を経験してはいないからだ。三十五歳の人間がいきなり七十の人間を演じることも難しいしし、なりきったとしたらそれは悲嘆しかないはずだ。私は彼に再び、初めてのクライアントに身元の確認をするように、名前と年齢と住所を尋ねた。すると彼も初
[次のページ]
戻る   Point(0)