毬藻/黒田康之
前、三十五歳のときに、実の父親と入れ替わったのだという。父親は今も存命で、彼の実家で悠々自適な老後を過ごしている。でも彼は自分が確かに父親なのだという。これはまれなケースではない。大体において、人間の欲望は他者によって充足されているのだからそれは不思議なことではない。彼の欲求の何がしかが、彼の父親によって代行されて充足されているとするならば、彼が自分を父親だと感じることがあっても、別段奇妙な話ではない。女の子に人気のアイドルの曲の振り付けを懸命に覚える男の子のようなもので、そこに明確な彼と私の分別が成り立てば、それは格別異常な心理なのではない。私はこのことを如何に平易で、日常の会話と温度差のない言
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