私の詩論 「第2部 ゲノムとポエジー」/ばんざわ くにお
を知らない。
この社長の例は極端な例であるが、生物的に過剰な生存率の確保のための労力の消費を
行った場合、人はむなしさを感じるのではないかと思う。
人はいつか死ぬ。その時にお金はあってもあの世にもっていけない。名誉、名声も
同様だ。生存率を高めることはできても寿命を延ばすことはできない。
もしその人に子供がいたとして、その子供が一人前の大人になって自活していく姿を
見たら親としてうれしく安心するだろうが、自分の役割が終わったのを感じて
なんとなく淋しさや、むなしさも感じるかも知れない。
ゲノムのために奉仕する生物としての役割を人間の脳の「自我」は薄々感じとって
いたのかも知れない
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