私の詩論 「第2部 ゲノムとポエジー」/ばんざわ くにお
ない。
ゲノムのために死んでいくことは生物的には幸せや快楽を感じるものであるかも
知れないが、「自我」は淋しさやむなしさを感じるようである。
(産卵を終えた鮭が川で死んでいく時や交尾するカマキリの雄が雌に食べられる時には
快楽を感じているのであろうか?)
4.私の「ポエジー」
この詩論の「はじめに」で述べた私の「ポエジー」(私は自分が感じるある詩的感覚を
こう呼ぶことにする)で私は詩の良し悪し(あくまでも私の主観の判断だが)を判定している。
この判定の対象は自分の作品はもちろん、他人の作品の判定にも使用している。
私の「ポエジー」は淋しさやむなしさを求める。このような詩を
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