詩は詩、書き手は書き手、なのかどうか/白井明大
ある短歌や俳句にはそれでも少なからず技術の体系が存在するようだし、そういう意味ではあの結社というあり方も、師から弟子への技術伝承として働いていることも否めはすまい。添削という、あの独特の指導法だって、定型であると同時に技術が確固として存在するから成り立っているのではないかなどと考えるのだけれど、翻って現代詩といわれる口語自由詩だけが、技術の研鑽を怠っていいわけがないではないか。」
「俺は、技術論からの批評を目指すのだ。」
(同「誰か私たちの行いに何か正しい名前をください」より)
http://po-m.com/forum/i_doc.php?did=627
上記のお考えをもとに
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