純粋正義への架橋20/チャオ
 
しなければいけない。
「正義」を語るとき、正義は世界の中で存在し、僕の中でも存在しなければ、正義の真理は語れない。

所詮、僕は正義への架橋を示すことでしか正義を語れはしないのだ。が、僕が正義を声として出さなければ、真の正義は生まれない。
それは僕だけじゃない。君でも同じことだ。

欲しいものを手にすることができないとしても、それを追うことが常に真理をつむぎだす一歩なのだ。それが無意味だと一笑するものもいるだろう。だが、そいつはその限界を示された世界に何を見つめているのか?
幸福という言葉は、社会的地位という意味は持たない。仕事という言葉は未来への安定という意味だけで成り立つものでは
[次のページ]
戻る   Point(0)