純粋正義への架橋20/チャオ
ではない。
無意味だと一笑するのならば、自分に訪ねればいい。その言葉の意味を。辞書に記された意味ではなく、自分自身でしか読み取れない、自分自身の言葉の意味を。
僕は正義を語るとき、僕の正義は満たされている。だが、僕を超えて、それははじめて正義となる。
僕の叫ぶ正義は、いつでも、正義への架橋なのだ。
そして、正義という言葉が還元されない根源的な意味合からそれが叫ばれたとき、そしてどうじに、僕自身だけの正義として叫ばれたとき、僕は初めて、純粋正義を見ることができるのだろう。
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