純粋正義への架橋20/チャオ
とはない。では、正義は権力なのか?
それに反抗を繰り返すからこそ、結局、戦争はおきるのだ。革命からは逃れられないと、ブルトンが言ったとき、それは、僕ら各々の純粋正義への架橋を示しているのだ。僕はそう考えている。
僕は君になり得ないが、僕は誰でもない誰かでなくてはならない。それは僕を超えることで獲得できるもので、僕を無にすることではない。
絶対零度という観念の中で、各々の嗜好性は枝分かれ的に広がる。僕らの熱は僕ら自身の観念の中でしか計ることはできないのだ。
が、その観念は、絶対零度、つまり、客観的でなければいけない。
主観と、客観という二律背反が同時にひとつの事実の存在しな
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