純粋正義への架橋20/チャオ
僕は僕をさまよい、たどり着けないまま一生を過ごすことになる。はたして、僕はそれを正義だと思うだろうか。もしくは、僕はそのとき、「正義」を意識しているのだろうか。
僕は世界の中で、「正義」の限界の元、「正義」を放棄している。言葉を超えることで、言葉の意味は生まれる。ようは、限界を作り出したとき、それらの言葉は言葉を失う。僕は、僕という声を否定され、そうすることによって、僕は心に抱く正義を語れない。というよりは、誰かの声に収まりきるような思いは、思いではない。賛同することはあるにせよ、示された答えに満足するというのなら、そこにあったものは思いではない。
「わだつみの声」を考察したとき、僕は
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