純粋正義への架橋20/チャオ
 
指し示す方向には「他者」が存在するのだ。

僕は、僕でしかありえはしないが、僕でなくともかまわない事実
僕は、僕でしかありえないから、僕は君になりえない事実。

この二つの命題が、僕の中には存在している。で、どこが「正義」へとつなぐのかというと、他者と自の道徳、その集合体としての言葉。もしくは、外部から押し付けられることのない、内面から浮き出る思想の他者との和解。僕は正義をそうとらえている。

ジョルジョバタイユの「内的体験」から言葉を借りよう。

()

僕は
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