映画日記、ただし日付はてきとう2/渡邉建志
でキャメラは回され続けるだろう。その過剰なまでの切実さ。ある人はこの長い長いシーンを退屈の一言で片付けるかもしれない。しかしその切実さを汲み取るものには、その「行為」がいかに彼らの魂(とその救済)に深く突き刺さっているかを感じ取るだろう。その過剰なキャメラの長回しにおいて、たしかに時間は流れているけれど、本当に時計の針は動いているのだろうか?ひとつの切実なメタファー/ビジョンが演技者とキャメラと観客を貫いて拡がるとき、それは止まっているのではないか?
映画を見るとき、不意討ちのように、われわれはこのような強くて深くタテに垂直に入り込むようなビジョンを目撃することがある。そのような体験を求めて
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