映画日記、ただし日付はてきとう2/渡邉建志
 
ビジョンが一挙に提示されるメタファー的な瞬間が、なんとかかんとか物語の軸において、時間を与えられつながっていくということ。(物語というものは直立するメタファーを横につなげるための装置にすぎない、などというと極言だろうか。)そのビジョンなりメタファーなりが、魂の救済と強く結びつくとき、アンドレイ・タルコフスキーの映画の宇宙は、見る者の心の中に立ち現れ、拡がり始めるだろう。

僕はビクトル・エリセとアンドレイ・タルコフスキーと佐々木昭一郎が好きなのだけれど、同じくこの三人を好みの作家に挙げる河瀬直美の「殯の森」を見ながら、大江健三郎が武満徹に語りかけていたこの「縦に拡がるメタファー」ということを強
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