詩の領域2/パンの愛人
 
以である。

 「取り込む・取り込まれる」のはあくまで部分的なものにすぎない。たとえ「文学」が何を取り込もうとも、それが文学作品である限り、かならず兌換不可能なものが残されているはずである。そしてその残されたものによって、ぼくらは文学と文学以外の区別をつけている。
 言うまでもなく、何をどのように取り込むかは、その作品ごとに異なる。これを裏返せば、何を残すかは作品ごとに異なるということである。その傾向性が、作風の相違にあらわれると考えてもいい。

 ぼくはけっして「週末のピンサロ通いや一切れ残ったピザの気まずさを引用-参照して詩を書くこと」に肩をすくめたいわけではない。なぜなら、そこには
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