詩を書く人のすべてが詩人じゃなくていい/たりぽん(大理 奔)
 
らなければそれはなかったことに等しい。文字による記録を持たない人々の歴史を我々が辿れないように。詩を読みたいという欲求は他人の感性に触れたいという個から群へむかう生物としての本能であり、詩を書きたいという欲求もまた個を群へと知らしめるという本能に即した行動でしかない。つまりどこまで行っても「個」は「群」に対して従属的に思えるのだ。

 「個」であることを目指して詩人を名乗る者は孤独じゃないか。群の中で輝くことを欲しながら個を追求することは果てしなく孤独だ。すばらしい作品を遺した先人達はまさに孤独を手に入れて輝いたのかも知れない。その作品を愛して世に伝え残した周囲の人々があって、はじめて我々はそ
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