悪意の在り処/岡部淳太郎
らしいことを思うと、歯がゆい思いをしてしまう。また、これらの詩の、人間精神の日の当たる側しか見ていない姿勢は、先述のように物足りなく感じられるし、このような詩ばかりが目立ってしまうと、詩に体力が備わらなくなるのではないかという危惧を感じもする。
詩を書くとはどういうことだろうか。それは世界への異和を言葉にするということであり、そうでなければ詩であるなどとは言えないと思うのだ。(こんな排他的な言い方をするとまた怒られそうだが、ただ面白おかしく言葉をこねくり回しているだけでは、それは本当の詩的な態度とは言えないだろう。いわゆる「ポエム」にも現代詩にもその甘さはあるのであり、そういう意味でこのふたつ
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