悪意の在り処/岡部淳太郎
 
たつは見かけの違いとは裏腹に根底で同じ過ちを犯しているように思える)。そして、世界への異和というのは人が詩に向かう出発点であるはずで、もっと言うならばその普通の世界からはみ出してしまう精神傾向こそが、あらゆる創作行為の原点であるはずなのだ。世界への異和が詩の出発点になるということは、そうした異和を感じる精神は周囲からの悪意にさらされているはずである。それはたとえ明確なものでなく本人がそのように感じるだけであっても、自らがこれは悪意であると認めうるならばそれでいいのだ。そして、そのように悪意を受け止めてしまえば、世界への反撃が始まる。それはその中に悪意を含むものであるはずで、詩的精神は自らの中に悪意
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