イワン・デニーソヴィチの一日/パンの愛人
きた。鋸のかけらも身体検査で見つからなかった。晩にはツェーザリに稼がせてもらった。タバコも買えた。どうやら、病気にならずにすんだ。
一日が、すこしも憂うつなところのない、ほとんど幸せとさえいえる一日がすぎ去ったのだ。}
これは小説のほぼ終末部にあたる箇所で、眠りにおちる前に今日一日を概観しているわけだが、この概要を見ただけでも、ラーゲリでの悲惨な生活ぶりがうかがえる。では、それを「すこしも憂うつなところのない、ほとんど幸せとさえいえる」のは何故か。
これらふたつの引用を、ラーゲリ生活が生んだ一種の倒錯として一蹴することは現在のわれわれの生活をかんがみても容易であることはたしかだ。しかし
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