イワン・デニーソヴィチの一日/パンの愛人
 
かし、先にも述べたとおり、ラーゲリという極限状況も畢竟ひとつの日常であるのだから、便宜的に捨象して考えてみれば、ラーゲリとわれわれの日常とのあいだにはせいぜい程度の差しかないことが理解されるはずである。
 この小説は、上の引用につづいて次のようにして終わる。
 
 こんな日が、彼の刑期のはじめから終りまでに、三千六百五十三日あった。
 閏年のために、三日のおまけがついたのだ……

 たとえば、これを痛烈なアイロニーと評しても、それは読者の勝手だろうが、ソルジェニーツィンのペンの動きに曖昧な要素は一切ない。
戻る   Point(3)