「感性の論理」はどこからくるのか---詩の非論理的な領域を読むということ、詩の非論理的な領域を書くと.../N.K.
に群れるのだと解釈をする。岬が光ってその下に魚たちたちはむれ、「岬にみちは尽き、空は澄み、そして岬に一本の指が立っている。」 8と風景を正しく捉えなおす。私にとってはここが非常に大切なところと思われるところで、「とにかく普遍的に伝わる部分」(意味の面あるいは論理的な意味の領域)であり、こういう箇所を誤りならばともかく恣意的に解釈することは、かなりの力業としか思えない。
さらに大岡は「山村暮鳥という詩人を全部読んでみて、やはり違うんじゃないか」9 とたたみこんでくる。暮鳥という人は「一本の指が」岬に立っている。それをまっすぐに見た人だと思うんです。」10 私がこう付け足すのは蛇足以外の何物でもな
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