遊びについて/パンの愛人
わたしはそういった態度が、いつかわれわれの社会生活に復讐されることも知っている。社会が自分を他者として扱う場所であってみれば、遊んでいる人間は自己として自分に対峙している点で、必然的に反社会的な存在なのである。
ここまで書けばわかるとおり、わたしはまた極端な個人主義者でもある。わたしはわたしの欲望が、わたしのオリジナルであることを決して疑わない。外面的にはどう映ろうとも、自己喪失者は遊びの本質に触れることはできないのである。歴史をひもとけばわかるとおり、遊びの達人たちは常に偉大な個人でもあったのだ。遊びはひとつの哲学である。たとえチェス盤の正方形のなかに全宇宙が反映されていたとしても、なん
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