遊びについて/パンの愛人
estといった、生産的で実利的な判断はわたしには向かない。周知の通り、現在、日本をはじめとする経済先進国ではいわゆる第三次産業が経済活動の中心を占めているのであってみれば、わたしのような人間は、ひとによってはあまりに軽佻浮薄に見えるかもしれない。企業にとっては、余程のいいカモということになるであろう。
しかしわたしのいう遊びとは、元来無目的のその場かぎりのものであって、この嗜好性の底には時間の概念にたいしての意識的な持論が潜んでいるのだ。
つまり、わたしは遊びにおいて永遠のnowを追い求めているのである。遊びに没頭しているかぎり、わたしは一切の過去や未来をかえりみない。そして、もちろんわた
[次のページ]
戻る 編 削 Point(1)