感動について/パンの愛人
 
の間にだけあらわれるものとはかぎらず、ひとりの人物の精神遍歴においても深い断絶を示すときがある。かのときにはかのときの感動があり、それはつねに純粋な一回性のもとにおとずれる。

 このように感動というものが、不確かな土台のうえで演じられる行為であることを承知するならば、われわれは自分の感受能力を検討してみる必要性をも認めることであろう。前意識的な運動を意識的に把握すること。これは自分の個性の普遍性と同時に個別性を確認することであり、こういった知的努力が結果として、われわれの感受能力そのものをより豊かで鋭敏なものにすると期待してもいいとおもう。

 もちろん、不徹底で偽りの修練はかえって有害
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