彼らが自由に踊るとき/たりぽん(大理 奔)
 
傷つくし苦しいことです。でも、それが生きていくことの一部だと受け入れなければならないような、そう思うのです。そして嫌いな誰かも誰かを好きなのだろうと思うと可笑しくなるのです。だって可笑しいじゃないですか。「嫌いと好きが同量」になる世界と「みんなが大好き」な世界が同じものに見えるなんて。

 駅前広場の出来事は私にあらゆる相似形を想像させます。たとえば会社や学校、家庭。人が集まるところでは結局同じ事が起こっているのだろうなと。ゴルフのスウィングが悪いとやたらレクチャーしたがるオヤジとか飲みにケーション(死語)に無理解な新入社員とか。そういうのは相手の世界に飛び込んでその中で自分を表現すれば良いじ
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