球体がある/パンの愛人
集団が、それぞれの自分たちの趣味に耽っている。かれらの間にあるのは無関心と不参加の態度である。つまり、辺り一面に球体が転がっているばかりなのである。
社会環境による強制は希薄になり、かれらに先立って物事を決定しうる固定観念はもはやマージナルな拘束力しか持たない。義務や制約は外から与えられるものではなく、自ら選んだ上で背負い込むものになった。もうぼくらは「ハムレット」や「戦争と平和」を楽しむふりをしなくていいし、「論理哲学論考」や「存在と時間」を読む必要性を認めなくてもかまわない。詩論は読むに耐えず、詩は誰も読まない。少なくとも、そう選択するだけの自由と平等をぼくらは保証されている。
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