球体がある/パンの愛人
 
ちには可能でも、彼には絶対に不可能なこと。それについてのもっともらしい解釈なら如何ようにも与えられるが、ここでは球体という己れの存在様式への「決意と苦悩」というジレンマの表明、そしてそこにポエジーがあるという点を留意しておきたい。

 ところで、現代は趣味の時代である。騎士の時代は終わりを告げ、それにつづいてドンキホーテの時代がおとずれた。といっても、これはあくまで「時代」という語の使用がいまなお許されていると仮定した上での話である。「同時代性」という語が信用されているとしたなら、それは「同時代性なんてだれひとり信用していない」という、まさにその認識においててであろう。各個人が、あるいは各集団
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