エトランゼの行方/パンの愛人
意図が感じられる。
しかし、かといって抵抗詩人ないしは思想詩人という呼称はかれらにとって不完全なものでしかないだろう。
実際にかれらの詩を読んで一番つよく印象づけられるのは、両者とも徹頭徹尾、抒情詩人であるということだ。
とくに鮎川の場合、戦後に書かれた詩論と実際の詩作品を読み比べてみると、
誰しも意外さというか、なにか違和感を覚えるのではないかと思う。
また、金子にはニヒリズムが、鮎川にはペシミズムが気質として感じられるが、
一般的ない意味でのニヒリズムやペシミズムでは汲み取れない部分が多いと思う。
個人主義者、あるいは現実主義者というのも一面的な見方でしかないと思う。
かれ
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