エトランゼの行方/パンの愛人
 
用してみよう。

   僕は、ついに、自分をエトランゼという名でよぶことにした。
   僕なりの苦労もしてきた末のことだ。日本人でありながら、日本の政治、経済、国勢の伸張、国家的義務など、
   いっさいに、注意も関心ももたない人間は、異邦人でしかないという考えは、自分としても、
   ある爽快さを味わうことができたからだ。

金子、鮎川、両者に共通してみとめられるのは、社会批判者としてのたたずまいである。
金子は象徴詩の、鮎川はモダニスムの、といった若年時に影響をうけた詩のタイプは年齢相応に異なるが、
ともにその芸術至上主義から脱して、より実社会へのかかわりを強めようという意図
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