エトランゼの行方/パンの愛人
 

   とおいシンガポールの街を歩いたこともある
   青空の下で
   パスカルの読み方を教えた青年が戦死し
   それでもぼくらが生きているとは信じられなかった

   戦争嫌いのドイツの作家が
   ぼくらに一枚の絵皿を見せたことがある
   1850と書いてあった その年から
   ぼくはエトランゼであったし
   何処へ行こうと
   ぼくの知ったことではなかったのだ
   ある日 ボートを水にうかべ
   自殺したぺーペルコルンのことを考えていた
   トバ湖は凪いでいた
   櫂はぼくに全身をあたえ
   力が判断と緊張をしっかりと両足にむすびつける

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