八月、愛するものにもどってはならない/んなこたーない
 
んでしまう。
しかし、そのほとんどは、自分の生活にはあまり関係のない、どうでもいいようなことばかりなのである。
そんなことより、いつになったら家の前の道路工事は終わるのか、
いつになったら長期休養で田舎へ帰った上司が仕事場へ復帰するのか、ぼくにとってはそちらの方がよほど焦眉の問題である。



昔は「進歩的知識人」なるものが存在したが、恐るべきことに、かれら自身が一向に進歩することなく、
結局はみんな消えてしまったようだ。
Occasionに際して、その成否を決するには長いスパンが必要である。
言論に関していえば、判断を誤ろうと、誤謬を犯そうと、特に責任を問われることはない。
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