ダンスと同性愛発生の仮説/ケンディ
 
の形式を全て説明することができない。またこの論述は、同性愛の生理学的・心理学的説明とは無関係である。しかしこの仮説は、同性愛という性愛の作法が生まれる上で経られた重要な役割を言い当てている可能性は否定されていない。要するに同性愛説明のために、十分条件ではないが、必要条件ではありうる。その証明は歴史学と精神分析の研究が行うであろう。
 文化史的証明を飛び越えてさらに推論を進めてみよう。諸個人はいろいろな側面で党派性を帯びる。性別はその一例。プラトンの『饗宴』ならば自分の欠落したもう一方(異性)を探し求める性愛観を提示するだろう。個々人は常に片割れだ。片割れとしての生のあり方は、いわば自然的な経験。
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