「徹底的印象批評」のすすめ/渦巻二三五
 
拠からではなく、自らの主観を根拠として作品を論ずる批評形態である(と思っている)。そこには当然ながら「私」が入り込むのであるが、批評においてこの(評者の)「私」を前提とすることに私は疑問を感じるのだ。}
 と言われています。
 これを読んで、私は思いました。逆に、「自らの主観を根拠として作品を論ずる」印象批評を、もっと徹底的にやってみたらどんなもんだろうか、と。
 一編の詩を読んで感銘を受けたなら、その根拠を作中に探り、それによってなぜ「私」という個人が感銘を受けたのかをつまびらかにする。
 おどろおどろしく不安をかき立てるような詩、あるいはおだやかに安堵感を与えるような詩、といった「印象
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