「よもつしこめに…」への:追記的私信。/カスラ
直観していた。例えば彼が「おまえのやさしい雨に抱かれていたい」と記述する、その事態について、「雨が降っている」「降っている」「It's rain」と、どのように発語したところで各々の発語は、唯一のその「実在」の周囲を様々な角度から旋回しつつ接近し、無限にそれへと近づくが、決してそこへは到達しない。これは、発語という現象が本来的に孕む不可能なのだ。「雨が降っている」と発語しない、認識しないそのことで、雨が降っているという事態そのものに「私」は、なるのだ。
それは同様に、「世界が在る」「私は思う」あるいは「存在者が存在する」という発語以前のその事態について試みられた各々の発語は、それらにとっ
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