「よもつしこめに…」への:追記的私信。/カスラ
 
とってどの位置にあることになるのか。――これが、マラルメの言うところの「正しい本文を指し示すための」諸々の書物である。そこに語られているのは、決して語り得ない唯一の「本文」、つまり「存在」だ。各々の書物は、「存在」という一冊の書物の、その諸相にすぎない。マラルメの「書物」は、書かれるべくして彼方に在るのではなく、既に、何者かによって「書かれて」、そこに在ったのだ。しかし、それが、発語というそれ自体不可能な手段によって「再現」されようとするために、覚醒しきった意識に繰り広げられる思考の軌跡は、そのまま紙面に写しとられる。永遠を「永遠」と言わず、虚無を「虚無」と言わないために、言葉はそれが出会った全宇宙の振幅をそこに紡ぎ出される。「語り得ないもの」を語り、語るために。太初から書かれて既にそこに在る「書物」が、あたかも新たにこの地上にもたらされたかのように、言葉が、そのうえをなぞってゆく。


ケルトの神話も「水晶の舟」も同じ一冊の書物であったように。そうして今日も「詩」は「存在」のうえに、書かれてゆく。


…§…
戻る   Point(1)