美人は誰か/んなこたーない
のような人為的な自然らしさがあまりに幅を利かせているからだ。
医療技術まで含めば、誰もかれもみな多かれ少なかれサイボーグ化しているのが現状なのではないだろうか。
美の決定権は誰にあるのかという問いもある。
これは「美は社会生活の反映であり、また時代の証言でもある」以上、
限定された時代の限定された社会とでもしか答えようがないだろう。
美意識は自己に反省を促す力がある。反省とは自分自身を客観視することである。
自分のなかに他者を見つけ出すこと。――この他者は間違いなくぼくらを裏切りつづけることだろう――
結局、内なる他者を許容する態度が実在する他者への許容にも繋がるのではないだ
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