美人は誰か/んなこたーない
 
は、
当時のブルジョア階級の健康的な美意識への反発が潜んでいるのもまた事実である。
美へのアプローチには、自分の社会階層を示す、あるいは仲間内の印を誇示するといった
政治的・経済的・社会的な意味合いが含まれている。

大まかに考えれば、二つの道筋がある。
ひとつは美の理想的範例を想定し、それに従属すべきというものである。
もうひとつはルソー流にありのままの自然をすなわち美とするものである。
ここには生活態度の相違があらわれる。つまり道徳的・宗教的な要素が絡んでくるのである。
「おしゃれに気を使う女性は、神より悪魔に似ることを選んだ者たちである。
 なぜならキリストはひとつの顔し
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