十年間/MOJO
 
公募の規定枚数に達することさえ出来ずにいたのである。しかし、そんな私の焦りも次第に日々の荒んだ生活のなかに溶け込んでしまっていた。
 そして私はいつしか「死」について思いを馳せるようになっていった。このままこの状態が続くわけがない。いつかは生活保護も打ち切られ、私は本位ではない仕事に就く。四十台の私に良い仕事先が見つかるとは思えない。この状態は会社を辞めた時点である程度予測はついていた。私は「創作」をメインに添えた生活をするつもりでいたのである。それは必ずしも商業的な成功を意味するものではなかった。私の作風は商業的ではなかったし、第一量産がきかなかった。例えば生きるのに最低限の収入を得る仕事に就
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