道標にしていた/ワタナbシンゴ
 


山田太一が亡くなった。
もう新作が出ることはないと思っていたが、訃報に接して、改めて彼の作品を見ることができない現実を知る。


私にとっての山田太一脚本作品は、人生の道標としていたようなところがあった。
ひとの心の弱さや狡さ、可笑しさ、上手くいかなさ、誰しもにある嘘やこだわり。そのすべてが群像劇の中で、そこに発せられるべき言葉として作り上げられていて、すべてを言いきることもなくて。


今日は何かきちんと語るというより、過去の作品を見ながら、一日追悼の日を過ごしていたい気分でいる。


昭和一桁世代の表現者たちが次々とこの世からいなくなる。この昭和一桁生まれの意味を
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