消えた電池のこと/はるな
 

昨年の大震災以降の、日本における「共有化」というのか、共有観というのか、そういうものがちょっと異常になってきているように感じる。

あの日わたしは関西にいて、テレビがどのチャンネルもばたばたと臨時のニュース番組に変わっていくなかで、外に出ればふつうに子どもたちは遊んでいたしスーパーマーケットの喧騒もいつもどおりだった。だって揺れていないから。それがだんだんと津波の報道がされ、地震の範囲が明らかになってゆき、あの福島の原発での事故がうつされ、それでも次の日に仕事にいけば「なんだかすごいことになってますよねえ」と交わす程度だったのだ。
わたし自身はというと、夫がちょうど津波のある地方(何日も
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