二月へ/はるな
 

いったい、「後悔」というものは、どのようにしたらできるのだろう、と考える私は、十分に若く、また、十二分に傲慢であるのでしょうけれど、それにしても、いったい「後悔」というものは、どのようにしたらできるのだろう。
欲しいものは手に入れてきた、というのは、手に入れたいと思ったものは、手に入るまでは執着したということで、手に入らなかったものは、要するに、ある時点で「手に入れたい」とは思わなくなったものです。そう考えるとやはり、恵まれながら、与えられながら、手に入れたいものはすべて手に入れてきた。
うっすらと、周りの人々がそのような心もちではないことを知るにつけ、私が手に入れたいものを手に入れてきた
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