母の靴、私の靴/豊島ケイトウ
母が私の靴をはいて出てしまった。
『せちがらい世の中です。どうか探さないでください』
朝起きると母の書き置きがあった。あまりにも淡白なセンテンスだった。私は泣きながらトーストをかじり、泣きながらアイスコーヒーをすすった。泣きながら新聞を読み泣きながらNHKのニュースを見て泣きながらトイレに向かった。何一つとして私の頭にはつめ込まれなかった。母が出てしまった、という情報だけが何度もひるがえった。
三年ほど前だったか、母は、「……いきなりですが家を出ようと思います」と、中学生の私に告げたことがある。正座して。くそ真面目な顔で。それを聞いた私はまず、なるほど、と思った。なるほど、そうきたか。
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