歴史的自己  死者を介して    mixi日記より/前田ふむふむ
 
歴史的な存在としての人間(僕が考えている場合では、この定義は正確であるかは疑問であるけれど、ごく一般的には、)は、親から子へ、年長者より若者へと、常に変質しつつも代々へと継承されていくものであると考えられる。
だから、本来的に人間のあり方が歴史であるとはいえるが、つまり、歴史的であるからこそ、人間としての存在意義があるとも、ある意味言えなくもない。
それは、時とともに、あるいは、死を介在して、生々しさを失くした、風化したものに変貌していく場合もあれば、逆に、わずかなことが、輝かしく新たな社会や生活に強い影響を与える場合もあるといえるだろう。即ち、いずれにしても過去から現在へ、現在から未来へと影
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