それは違うのではないでしょうか?──ぽえりんこ大会参加への第一歩として、ある分水嶺を予感しつつ──/藪木二郎
引用は AtoZ氏 の投稿、「詩人は原点に帰れ」より。「『自動筆記』」という言葉についての氏の限定的な使用法については、敢えて無視させて頂いています。
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>まず基点に、しずかに座っているというディスコミニケーションの状態があり、それからおびただしい無形のエネルギーを消費したうえで、紙の上とか、フィルムのうえとか、舞台のうえとかに何かがあらわれると吉本は説く。
引用文中に「何か」とあります。
>「自動筆記」されて量産されたものが詩のコーナーにまかり通るということはいったいこれはどういう現象なのだろうか?
>なにか時代的な病根の兆候ではないのだ
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