悲しいことがあると僕はいつも/花形新次
 
 私がちょうど22よりひとつかふたつばかり年が若輩者だった頃、世の中では1980年代の世紀も終わりをつげるかどうかの瀬戸際だったかと存じます。
 私は当時イヤでイヤで体重100kgを越す典型的な拒食症だったのですが、歳の離れた父が絶対に行かないといけませんと仰いますし、腹違いの母も晩ご飯はイシイのハンバーグにしなさいとのたまうものですから、とある余り利口者は集わない学校の理工学部(もしよかったら理工学を学んでみては?的な学部です。的なだって、今風なんだから〜。)で、日夜あるいは主に明け方、理工学について舌なめずりしておりました。
 熱力道山学やらこのところ良い機構ですわねえ学やら、チンプンカン
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