夢と記号に関するメモ/結城 森士
 
夢を分析しつつも、オカルティズムを認めず、あくまでも合理主義を貫こうとしたフロイトは記号的なのだろうか。
一方、同じく夢についての考察をしながらオカルティズムに傾倒し、未知の神秘に対しては謙虚な態度をとり続けたユングは脱記号的なのだろうか。


ユングは、フロイトの言う「無意識」は個人の意識に抑圧された内容の「ごみ捨て場」のようなものであるが、自分の言う無意識とは「人類の歴史が眠る宝庫」のようなものである、と例えている。


自分は以前、夢を見た。
「何かとてつもなく重要なことを理解する」夢だった。
そして、その内容を自分は「理解」した。

言葉ではない、何かで。
記号では
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