かがやかせるもの/白井明大
藤井貞和『自由詩学』にこんな一節があります。
「思いようによっては、さびしいことかもしれないけれども、日本語の詩にとって、真にだいじなことは、等時拍であることからみちびかれることとして、(ア)音韻の一つ一つを大切に、丁寧にあつかうということと、その音韻によって、(イ)意味がどこまで輝くか、ということに尽きてしまう。」
(等時拍というのは、ことばが「弱強や長短のアクセントをも、まとまりをも、もたない」ということだそうです)
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ことばの響きが、意味を輝かせる。
この本を読んでから、そうしたことが意識の端にありました。
ですが、貞久秀紀の
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