オーム(あるいは人の死)/soft_machine
ただのみきやさんのコメント
縄文の遺跡や土偶をユングの元型論やエリアーデの象徴理論で解釈しようとした本を読んだことがあります。
縄文土偶を文字のない時代のひとつの詩としてとらえるのなら、確かに時代と場所と形状で分類して名付けるだけの考古学的読解では
モチーフばかりに目が行きテキストは自説の投影のための依り代となりかねません。言葉をただ解釈するのではなく言葉から心を探り
その心を自分の心に着せて読むことが大切だと感じました。
否定的な意味ではなくこの作品の創作にそのような心の眼差しがあるように感じた次第です。
的外れなコメントだったらお許しください。